明治15年 0歳 五月二十日、静岡県磐田郡久努村村松(現袋井市村松)に生まれる。
名は慎一郎、姉二人、妹一人。
明治18年 3歳 父、東江に書と漢字を習う。
明治19年 4歳 論語、孝経、大学、中庸、孟子などを素読する。
明治20年 5歳 作品「大丈夫」
可睡斎方丈・西有穆山禅師より般若心経を学ぶ。
明治22年 7歳 刮目尋常小学校(現袋井東小学校)に入学。
二年間で四年の課程を終了。
太田竹城の書塾に入門し三年間学ぶ。
明治23年 8歳 岡田良一郎主宰の冀北学舎に入門し漢学を学ぶ。
明治25年 10歳 「二葉」と号す。
静岡県知事小松原英太郎の推奨により五年間静岡県内を豆書家として巡回、「神童」と呼ばれる。
明治27年 12歳 明治天皇銀婚式に楷書「孝経」、草書「出師表」を暗書して献上す。
日清戦争始まる。
明治30年 15歳 書家として独立。
ふる里を後にして全国行脚に旅立つ。
明治34年 19歳 上京。
小室屈山に師事し、漢学を学ぶ。
号を「驥山」、字を「子叔」と選定さる。
明治35年 20歳 驥山改号披露を可睡斎で催す。
明治36年 21歳 高野山に籠り、百日間に亘り弘法大師の研究に没頭。
以後、九州、神戸、中国に渡り書法研究。
明治41年 26歳 八年ぶりに神戸に戻る。
書道塾「惜院書塾」を開く。
豊田きく子と結婚。
明治43年 28歳 十一月、清浦奎吾の斡旋で内閣賞勲局に勤務のため上京。
大正2年 31歳 賞勲局を辞して書専門の生活に入る。
新潟に行き、良寛の研究をする。
大正5年 34歳 再び上京し、帝国地方行政学会(現ぎょうせい)の文書課に勤務。
勤務の傍ら、書道、漢学の研究。
方々の書道会の育成に参加する。
大正14年 43歳 第一回日本書道作振興会に、清浦奎吾、豊道春海、今泉勇作らと共に参画。全国組織での活動を始める。
昭和16年 59歳 九月、妻を連れて北京へ。
十二月八日、太平洋戦争に突入。
昭和20年 63歳 戦禍を避けて信州篠ノ井に疎開。
八月十五日、終戦。
昭和23年 66歳 第四回日展五科に書道が参加し参与審査員となる。
昭和26年 69歳 五月十六日、書道界初の日本芸術院賞受賞す。
昭和36年 79歳 長野県篠ノ井市に驥山館完成。
日本芸術院会員に就任す。
昭和40年 83歳 勲三等瑞宝章授与
昭和43年 86歳 十一月、第十一回新日展出品作「心」。(絶筆、驥山館蔵)
昭和44年 87歳 四月六日逝去。
静岡県袋井市村松の油山寺に埋葬。従四位に叙せられる。


<参考資料>

「書家川村驥山先生」について  兼子春治
「天馬のように走れ」  ひくまの出版

<監修>

鳴沢の会/(財)驥山館